臨床における倫理の方針

 臨床の現場では、純粋に医学的な判断に加えて倫理的検討が必要になることが多い。
例えば、積極的治療を患者が希望する、あるいは希望しない場合の対応、また、治療の中止を希望する、あるいは 希望しない場合などへの対応、終末期に鎮静を行うか否かを判断する場合、急変時や終末期における DNAR(心肺 蘇生を行わないこと)、人工呼吸器の装着、継続、取り外しなどが該当する。
 その場合、患者の病状、患者の意思、家族の希望などの個別性に焦点を当て検討する必要があるが、その検討 は一定の倫理的原則に基づいて行われなければならない。

倫理的原則としては以下のものが挙げられる。

  1. 患者を一人の人間として尊重する。病気という一側面だけでなく、全人的に見る姿勢が重要である。
  2. 患者及び家族は医療者と共に治療やケアに参加する対等の存在であることを認識する。
  3. 判断の基準としては患者の最善を目指す。すなわち、患者の益になり害にならないことが目標である。
  4. さらに、第三者に対して正義を保ち、不公正にならないように配慮する。

 実際の流れは、倫理的問題が存在することの認識、問題点の内容の分析・整理、倫理的判断に必要な情報の収 集、問題点への対応、対応の評価と修正ということになる。
 検討に際しては、以下に挙げるような事項を考慮する必要がある。

  1. 医学的適応:診断と予後、治療目標の確認、治療のメリットとデメリットなど
  2. 患者の意向:患者の判断能力、インフォームドコンセント、リビングウィル、代理決定など
  3. QOL:QOL の定義と評価、何が患者にとって最善かの判断、QOL に影響する因子など
  4. 周囲の状況:家族関係、経済的側面、宗教的背景など

 判断に当たっては、医療の目標は単なる延命ではなく患者の QOL を高めることも基本的目標であるという認識が 必要である。しかし、QOL そのものの構成要素が多様であること、治療結果の予想の不確定さ、患者の価値観など が関連し、何をもって患者の「最善」とするかの判断は単純ではない。

判断に当たっては、医療者個人の倫理観に頼らず、医療・ケアチームの複数のスタッ フ間で十分に検討することが最も重要である。主治医 1 人で判断してはいけない。 さらに必要に応じて病院の倫理委員会で審議しなくてはならない。

 スタッフ間の良好なコミュニケーションが重要であり、さらに、患者及び家族と医療者間とのコミュニケーションも適 切な倫理的判断にとって必要である。患者および家族からの個別化した情報が得られて、初めて個々の患者の利 益となる判断が可能となるからである。

① 基本的な対応

  1. まず、現在の病態に対し考えられる有益な治療のすべてに関し、そのメリット、デメリットを挙げる。 治療しない場合のメリット、デメリットも評価する。評価においては患者の病状、予後、年齢等を考慮する。
  2. 患者の人生観、価値観、家族の理解と意向を確認する。例えば、看護師が心理的な葛藤なども含めて、聴くこと、接することに徹し、積極的に情報収集する。
  3. 患者に家族や相談相手がいる場合は、それらの人と相談することを促し、その結果を尊重する。
  4. 予想されることは全て分かりやすく紙面に記載し、患者および家族が理解できるように説明する。
  5. 説明した内容、参加者氏名(医療者側、患者側)、説明した場所と日時を必ず電子カルテに記録する。(インフォームド・コンセントの記録フォーマットを用いて、患者及び家族から署名を頂き電子カルテに保存。)
  6. 患者及び家族の状況を理解した上で、この患者にとって何が「最善」であるかを判断するが、その場合、癒、延命というだけでなく QOL を考慮した判断が必要である。
  7. 患者の自己決定、あるいは代理者による決定を促すためには、具体的な説明を行うとともに、患者の価値を尊重、理解し、自己決定できる環境を整えることが大切である。
  8. 治療の中止を希望する、あるいは希望しない場合への対応も同様である。
  9. 感染症、精神保健福祉法に基づき、第 3 者に危害が及ぶ可能性がある場合は、治療拒否を制限することがある。

② 無輸血治療を希望する患者(エホバの証人等)への対応(宗教的輸血拒否)

当院では無輸血治療を希望する患者に対して、次の三点を大原則として対応する。

  1. 担当医師は自らの倫理観と責任感をもって患者側の人格を尊重し、お互いの信頼関係を壊さないように対応する。
  2. 良心的で丁寧な説明を行い、患者側の信頼を裏切らないよう、あらゆる代替療法によって最善の手段をつくす。
  3. 患者の救命に必要と判断した場合は、輸血同意書が得られない場合でも輸血療法を実施する。「輸血謝絶兼免責証明書」など免責証明書には署名しない。
    (1) 緊急の場合は救命を第一に治療法を検討し、輸血療法が必要であれば実施する。輸血療法実施の判断は原則として複数の医師で行う。
    (2) 患者及び家族には輸血療法について適切で十分な説明を行う。輸血療法に同意された場合は電子カルテ内にある「輸血に関する説明と同意書」(輸血療法委員会作成)へ署名して頂く。
    (3) 患者及び家族との話し合いの記録、診療状況の記録、輸血同意書はすべて電子カルテ内に保存する。
    (4) 最終的に輸血同意書が得られない場合、時間的余裕があれば他施設を紹介する。
    (5) 必要に応じてエホバの証人の医療機関連絡委員会、児童相談所に連絡をして対応を相談する。また倫理委員会にて対応を協議する。

③ 判断能力のない患者、意思決定能力のない患者の同意取得(自己判断不能例)

判断能力、意思決定能力が無いと考えられる患者に対して、侵襲を伴う検査や治療を行う場合は以下の手順により同意取得を行う。

  1. 意思決定能力の有無について、複数名の医師が判断し、その過程を診療録に記載する。
  2. 患者本人の「事前指示」がある場合は、その有効性を確認することも含めて家族の意見等を併せて、医療・ケアチームで協議の上判断する。(事前指示:口頭や書面で自分が判断能力を失った時に、どのような医療を希望するかを事前に残しておくもの。法定代理人を立てる場合もある。)
  3. 「事前指示」がない場合は、家族等適切な人が患者の意思を推定する「代理意思決定」を基に判断する。(代理意思決定:事前指示がない場合に、家族などが「患者がこのような立場になれば、これを望んだであろう」と本人に代わって意思決定を行うこと。)
  4. 家族等の関係者が見つからない、あるいは連絡が取れない場合は、医療・ケアチームで「最大利益基準」に基づく判断を行う。(最大利益基準:現在判断能力を失っている患者にとって、 何が最も利益になるかを考えて患者の利益を最大化するように判断すること。)
  5. いずれの手段による場合も、患者の最善の利益にかなっているか否かを、医学及び倫理の両面から医療・ケアチームで十分検討・協議して最終判断をしなければならない。参加者氏名、場所、日時、検討内容、検討結果を電子カルテに記載する。

④ 家族が患者本人の意向と異なる意思決定を行った場合

  1. 基本的に患者の意思が優先されるべきものである。しかし、患者及び家族それぞれが正確に内容を理解し、熟考した上で異なる結論に至っているのかを問い直す必要がある。
  2. 医療・ケアチームの方針を検討して合意を行うとともに、患者と家族の意向をくみ取り、相互のコミュニケーションを通して両者の考えを一致に至らせる道を探るべきである。

⑤ 治療方針について医療・ケアチームと患者及び患者家族の間で意見が一致しない場合

  1. その不一致の原因は何かというアセスメントを行い、疎通性のよいコミュニケーション環境を作り、関連する情報を十分に開示したうえで協議を重ね、意見の一致を得るよう努力するべきである。
  2. それが不調に終わるようであれば、病院の倫理委員会で審議することが必要である。

⑥ 終末期患者における延命治療の「差し控え」と「中止」(延命治療中止)

  1. 回復の見込みがなく死期が迫っている終末期の医療では、延命治療の「差し控え」は慎重に判断しなければならない。特に、できる限り患者本人の自己決定を尊重することが重要である。
  2. 本人の意思が確認できない場合は、上記③の「判断能力のない患者の同意取得」の手順に従って慎重に判断する。終末期であるという判断および延命治療差し控えの適正判断は、 主治医一人ではなく医療・ケアチーム全体で検討すべきである。
  3. 一旦開始した延命措置の中止は、現在のわが国では困難である。もちろん、患者が苦痛や不快の感覚を表出している場合は、延命措置より苦痛や不快を取り去ることを優先すべきである。しかし、いかなる場合も積極的安楽死や自殺幇助は認められない